なだ万
天保元年灘屋萬助が料亭「灘萬」の母体というべき料理屋を大阪で創業後、明治4年長崎料理を基調とした大阪料理の店「灘萬楼」を開業。大正8年には西園寺公望公のパリ講和会議の欧州随行料理人として灘萬の三代目・楠本萬助氏が選ばれる。
その後昭和に入り、東京の帝国ホテル本館に日本料理店を開店。昭和49年には大阪今橋にあった本店を東京のホテルニューオータニ日本庭園内に移転し「なだ万本店 山茶花荘」を開店。以来日本料理の老舗として現在に至る。東京サミットなど海外の要人をおもてなしする際にも使われる老舗高級日本料理店。